お金に対する価値観の変化
ところで。
「3億円あったら何がしたいですか?」
2017年の年末にHult Prizeっていうビジネスコンテストがあって、運よく神戸大学大会の運営に携われる機会があった。
世界中から参加する大学生の中で優勝したら、自分のチームが提案する事業が実際に展開される。
んで、そのために3億円の資金調達がされます、と。
運営で忙しくているときに、ふと、そこで問われたのが
「もし3億円あったら、みっちんこは何がしたい?」
他愛もない問いだったけど、自分は非常に困惑したのを覚えてる。
毎日のように
「お金欲しいなァ…。」
と思うけど、実際にそんな莫大な金額を手にできると考えると、自分が何のためにお金が欲しいのかが曖昧でよく分からなかったし、特に思いつきもしなかった。
おいしいご飯が毎日食べたい、とか、もっと良い家に住みたい、とか、その程度。
そのときあたりから
「自分て、明確な目標だとか、やりたいこととか、なんも持ってないなァ…。」
と思うとともに、
「莫大なお金があってもしたいことない。じゃなんでお金こんなに欲しいんだろ?そもそもお金ってそんなに大事なモノなんかな?」
といった感じで自分の中でお金に対する価値観が変化していった。
今回の論点はお金の話。
正直、今の衣・食・住の欲求がある程度満たされた生活に、満足している。
だからしっかり働くようになって、今よりもっともっとお金を稼いだとしても、「幸福度」というのは今と比較してもほとんど変わらないのかもしれない。
で、最近すごく思っていることがあって、よく言われていることだけど
「お金というのは、目的ではなくてただの手段でしかない。」
てこと。
「お金は大切じゃない。」
とか
「金持ちは不幸せだ。」
とか、そういうことを言っているわけじゃない。
ロシアの文豪かつ思想家であるドストエフスキーが
「金とは鋳造された自由である。」
と言ったように、お金がなければ人は好きなことを何もすることができない。
それどころか、自分自身の健康で文化的な最低限度の生活を営むことさえも不可能だろう。
その点で「お金」は非常に大事なものだとは思う。
でも、お金を稼ぐために働いて、貯蓄して、安心感や充実感に浸る。
それが悪いことではないけど、、、そんな生活にはどこか虚無感を感じるんじゃないかな…。
そんなの楽しくなくね?(完全に主観)
自分はそのHult Prizeでされた問に対して、それからぼんやりと考えてたわけだけど、
最近は、お金って自分の大切な生活や経験、大切な価値、家族や友達、恋人などの大切な人、つまり自分にとっての大切なモノ・コトを守るもの、その点でお金ってすごく大事なんじゃないんかな、と考えてる。
お金があったらだいたいなんでもできて、自分の生活の質を向上していくことも可能なわけで、それからさらに好きなことばっかやっていけるわけで。
自由を買うことができる、だからみんなお金が大事だというのか、と。
確かに。
あとは、お金ってやっぱり、消費することで初めて価値を生み出すものじゃないかな。
手元にあるお金をどんどん使って、自分自身のスキルとか経験とかに投資していくことで、消費したお金それ以上の価値を生み出していくことができるんじゃないかな?
特に、消費するのは若ければ若いほどいいと思っていて、培ったスキルや経験てのはかけがえのない大切なもので、今後の人生の糧、人生の財産になっていくと思うから。
受けたいセミナーや講演、参加したい活動、訪れてみたい場所、読んでみたい本、会いたい人、食べに行きたいお店。
参加を金銭的な理由で迷っているなら、絶対やるべき。
そこには貨幣としての絶対的なお金としての価値以上の何かがあると思うから。ドン!
自分も現時点で参加したいセミナーみたいなのがあって、全6回で36,000円。
それに加えて、毎回東京開催のため6回分往復の交通費が必要。
生活を犠牲にすれば参加できるけど、そんなしんどい極貧生活は嫌だから、迷っている。
だれかお金ください。
結論、やりたいことにはどんどんお金使っていきましょう、てこと。
おいしいご飯、待ってます。
感想も、待ってます!