みっちんこの思考整理日記

言語化ツールとして。

ご飯を奢ること

 

 先輩から、同期から、後輩から

「ご飯行きましょう」

って言われるのすんげく嬉しくね?

 

承認欲求が溢れるほどに満たされて、バイブスはぶちあがって、うきうきする。

 

先輩とご飯行ったときのお会計は、自分もお金を払おうとするけど

「奢るよ!」

って言われたらありがたくご馳走になる。

同期と行ったときはだいたい割り勘。たまに奢ったり、奢られたり。

また、後輩と行ったときはできるだけ自分が奢るようにしている。

 

先輩が後輩に、とか、上司が部下に、とか、いろんな形で「ご飯を奢る」という状況が生まれるけど、ご飯を奢ること、奢られることに関する自分の最近の考えを書き込もうと思う。

 

人によっては奢ることも奢られることも嫌がるというか、避けるようにしている人もいるみたい。

逆になんでもかんでも奢る人もいる。

自分は結構後輩には奢るタイプだと思うけど、この違いはどこから来てるんだろう?

 

「男は奢るもの」という固定観念を無意識のうちに持っているか、持っていないか。

今まで先輩に奢られてきたから自分もそうしようと思っているのか、その逆か。

見栄を張りたいのか、そうじゃないのか

下心があるのか、ないのか。

 

「人のよって考えは全然違うだろうから別に言及しなくていいか」

と思ったのでここで終了にします( 笑 )

 

 

最近自分が「なぜ奢るか」に関して考えていることは

「一緒に時間を過ごしてもらったことに対する対価、感謝」

だと思っている。

 

すごくキレイ事だけど、これって大切なんじゃないかなァ。

 

価値のある時間に対価を払うのって当たり前で、自分から誘った場合は相手が自分の都合に合わせてくれているわけで、また、同じ時間の共有をしてもらっているわけで、いろいろな考えや近況が聞けて、自分の話もできて、仲も深めることができるわけで。

そこに感謝の気持ちを忘れないようにしないとなーって。

 

人のお金で食べるご飯ほどおいしいものはない、けど、自分が奢って食べるご飯もおいしいよね。

おいしそうな顔して食べてる姿見てなんか満たされるし、誘ってよかったな~ってなる。

 

良い関係も築けるし、気分は良くなるし、自己投資みたいなものかな。

 

でもやっぱたまにいるけど、奢られて当然みたいな人、あれはよくないよね。

奢る気ではいるけど、そういった反応されたらなんか萎えるよね?

そんなんされたらまた行きたいって思えないよね?

「ありがとう」とか「おいしかったです」とか、伝えてほしいよね?

そこらへんがまだまだ未熟なんかもしれないけど、多くの人がそれ相応の見返りを無意識に求めているんじゃないかと思うけどな~。

 

奢った側も、奢られた側も、お互いにいい気分で帰宅できる、そんな状況が理想。

 

財布を出して

「え、先輩いいんすかッ!?あざッす!ごちそうさまッす!!楽しかったっすッ!!!また行きましょう!!!!」

って言われるだけで、奢る側は

「俺今サイコウにかっこよくね?奢って良かったァ!!」

みたいな、つまり

「相手も自分と同じ時間を共有することに価値を感じていたんだ!」

って、そういう思いを共有できるし、させることができるでしょ。

んま、ここら辺は最低限のマナーだとか、道徳の話だとは思うけど。

 

つまり何が言いたかったかというと、

 

 

 

 

 

 

 

 

先輩、めちゃくちゃおいしそうにご飯食べるし、めちゃくちゃ感謝も伝えるので

ご飯奢ってください。

 

 

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