成長の定義

 

私は現在、就活生と企業を結びつけるマッチングサービスを運営する、ある企業でインターンを行っている。

 

そこで、多くの企業の情報を見ることが多いのだが、

『圧倒的成長』 や 『同期に差をつける成長ができる環境』 など

特にベンチャー企業に多い謳い文句を見ては、なんとも言えない違和感を感じていた。

 

違和感の原因は『成長』という単語。

 

世間的に、ベンチャー企業に入社することは、個人としてより実力がつくこと、より成長可能な環境に飛び込むことができること、だと思われているように感じる。

しかし、それらは非常に抽象的で、あくまでぼんやりとしたイメージでしかない。

 

正直、大企業や一般的な民間企業に入社しても成長はできるし、なんなら就職しなくても、仕事をしなくても成長できるのではないだろうか。

 

自分もこれからなにか仕事を見つける身として、何が成長なのか、自分のどんな部分を成長させたいのか、そもそも成長は必要なのかを考えていくきっかけにしようと思い、想いを綴ることにした。

 

しばらく 『成長』 について考えた。

 

成長を自分の定義で言語化することは、

日々の生活の中に主体的な行動を促したり、苦しい業務やつまらないと感じる仕事に意味を付加することができたり、また、成長を実感できたときにより自己を肯定できたり、

と何気ない日常に多くの実りや彩りを与えることではないかと考えている。

 

私が私の中で定義する成長とは、

抽象的に言えば、『以前の自分に変化が起きること』と考える。

 

具体的に言えば、成長の要素は大きく分けて2つあり、

1つ目は技術的な成長、2つ目は精神的な成長だと考えている。

自分に何らかの変化の起きた結果。

それがざっくり言えば成長と定義することができるかな、と。

 

1つ目の技術的成長については、ある物事を繰り返すうちに精度や質が高まり、より効率的に行動できるようになることだと考えていて、

例えば、スポーツで言えば、サッカーや野球がうまくなる、であり、アルバイトで言えばレジ打ちのスピードが早くなる、である。

数をこなすことによって作業に慣れ、以前よりも早く、効率的な選択ができるようになり、かつ、以前よりも質を担保できるようになること。

この自分の出せる結果の変化が、技術的成長だと考える。

 

2つ目の精神的成長については、ある外部要因をきっかけに、自分の心理や価値観になにかしらの変化が起き、それによって思考が変わり、行動の傾向が変わること、だと考えていて、

例えば、自分の憧れの存在から影響を受けて、その理想との差を埋めるべく行動をするようになったり、誰かの話を聞いたときに自分の行動を改め、生活に変化が起きたりすることである。

自分の中に新たな価値観が形成され、それに基づいて以前の自分とは別の選択肢を選び取って生きていけるようになること、

つまり思考に何らかの変化があり、その結果、それに基づいて行動が変化すること、それが精神的成長だと考える。

 

特に、この定義をしてから自分は人との対話を重視するようになった。

なぜなら、人と対話することが最も自分に価値観の変化、つまり精神的な成長をもたらしていると実感しているからである。

 

精神に変化をもたらす、自分の中に新たな価値が生まれる、ここに自分はある種の快楽を覚える。

というのも、以前の自分では考えもしなかった価値観に触れ、別の視点から思考できるようになる幸せ、自分思考やそれに基づく行動が明らかに変化したと思える意識、これがさらに自分を高め、より深く、多面的な思考へと導いていくという実感がある。

 

そういった点で、自分の価値に変化を加えていく物事には主体的に挑戦していく姿勢が望ましいと思っている。

ある挑戦が成功するかもしれないし、失敗するかもしれない、もしかしたら何も生まれないかもしれない。

でも、それから何かしらの気づきを確実に得ることが出来るという確信が、自分を現時点よりもさらに高みへと導いていく。はず。

 

『成長とは、今までより大きな責任を引き受けられるようになることに他ならず、真摯さや責任感を身につけ、人から信頼を得て、仕事を任され、世の中に対して貢献するということだ』

と定義する人もいた。

 

確かにそれはそうとらえることも可能だとは思う。

現時点よりも、世の中により貢献できる影響力を持った状態、それは今よりも成長した姿であることは間違いないし、自分の成長した姿をイメージすることは、そこへ向かって努力していく大きな動機付けになるかもしれない。

 

 しかし、自分がどれだけ変化していこうが、自分の思い描く理想像だけが先行していく場合、自分の中の機微な変化を自分でとらえることができず、

『自分は全く成長していない』

のような考えに陥っては挫折をしてしまう、といったケースを想定できる。

 

憧れを持つことは悪いことではないが、理想と現実のギャップに苦しみながら生きていくよりは、日々精神の変化を少しずつ感じながら生きていく方が楽しく生きていけると思うし、合理的な選択だと思う。 

 

上述した精神的な成長について、一言言っておくとするならば、それは盲目的に多くの価値観を受け入れていくことではない。

自分で自分の主となる軸を意識しながら行動していくことが前提で、しかしそうなると当然、受け入れ難い価値観もある。

だが、それを否定するではなく、ある一種の価値観として、そんな志向性を持つ人種もいる、くらいの認識を頭の片隅に置いて生きていけばいい。

 

至極当然のことであるが、意外にもこういった考えができない人間というのも実際に存在して、受け入れられない価値観があることを、他人へわざわざ伝播させていくことを好む人種もいる。

彼らはそういった人間を蔑み、自分よりも下位の存在であるということを自他ともに確認することで、自分の地位が相対的に上であることの証明を、躍起になってしているのだろうか。

しょーもない。

 

話がそれてしまったが、多様な価値観がある中で、どんな権威を持つ他人の価値観でも取り込むべきか否かの判断をしながら、結局は自分の軸や判断基準をもって主体的な行動を選択していくことが大切なのである。

それが「自分らしく」生きていくことであり、自分の人生を100%生きていくために必要不可欠な思考だと思っている。

 

 

後半論点ズレてしまった。

でも結論、自分の中の機微な変化を楽しみながら生きていったら人生楽しくなるんじゃないの、という提案でした。

 

文章の構成はほとんど書きながら決めているからまとまりのない文章になってしまっている気がする。

暇があったらしっかり構成を考えて書いてみようと思います。

 

また読んでください。

 

質問箱↓

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お金に対する価値観の変化

 

 ところで。

 

 

 

 

 

「3億円あったら何がしたいですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年の年末にHult Prizeっていうビジネスコンテストがあって、運よく神戸大学大会の運営に携われる機会があった。

世界中から参加する大学生の中で優勝したら、自分のチームが提案する事業が実際に展開される。

んで、そのために3億円の資金調達がされます、と。

 

運営で忙しくているときに、ふと、そこで問われたのが

「もし3億円あったら、みっちんこは何がしたい?」

 

他愛もない問いだったけど、自分は非常に困惑したのを覚えてる。

毎日のように

「お金欲しいなァ…。」

と思うけど、実際にそんな莫大な金額を手にできると考えると、自分が何のためにお金が欲しいのかが曖昧でよく分からなかったし、特に思いつきもしなかった。

おいしいご飯が毎日食べたい、とか、もっと良い家に住みたい、とか、その程度。

 

そのときあたりから

「自分て、明確な目標だとか、やりたいこととか、なんも持ってないなァ…。」

と思うとともに、

「莫大なお金があってもしたいことない。じゃなんでお金こんなに欲しいんだろ?そもそもお金ってそんなに大事なモノなんかな?」

といった感じで自分の中でお金に対する価値観が変化していった。

 

 

 

 

今回の論点はお金の話。

 

正直、今の衣・食・住の欲求がある程度満たされた生活に、満足している。

からしっかり働くようになって、今よりもっともっとお金を稼いだとしても、「幸福度」というのは今と比較してもほとんど変わらないのかもしれない。

 

で、最近すごく思っていることがあって、よく言われていることだけど

「お金というのは、目的ではなくてただの手段でしかない。」

てこと。

 

「お金は大切じゃない。」

とか

「金持ちは不幸せだ。」

とか、そういうことを言っているわけじゃない。

 

ロシアの文豪かつ思想家であるドストエフスキー

「金とは鋳造された自由である。」

と言ったように、お金がなければ人は好きなことを何もすることができない。

それどころか、自分自身の健康で文化的な最低限度の生活を営むことさえも不可能だろう。

その点で「お金」は非常に大事なものだとは思う。

 

でも、お金を稼ぐために働いて、貯蓄して、安心感や充実感に浸る。

それが悪いことではないけど、、、そんな生活にはどこか虚無感を感じるんじゃないかな…。

そんなの楽しくなくね?(完全に主観)

 

自分はそのHult Prizeでされた問に対して、それからぼんやりと考えてたわけだけど、

最近は、お金って自分の大切な生活や経験、大切な価値、家族や友達、恋人などの大切な人、つまり自分にとっての大切なモノ・コトを守るもの、その点でお金ってすごく大事なんじゃないんかな、と考えてる。

お金があったらだいたいなんでもできて、自分の生活の質を向上していくことも可能なわけで、それからさらに好きなことばっかやっていけるわけで。

 

自由を買うことができる、だからみんなお金が大事だというのか、と。

確かに。

 

あとは、お金ってやっぱり、消費することで初めて価値を生み出すものじゃないかな。

手元にあるお金をどんどん使って、自分自身のスキルとか経験とかに投資していくことで、消費したお金それ以上の価値を生み出していくことができるんじゃないかな?

 

特に、消費するのは若ければ若いほどいいと思っていて、培ったスキルや経験てのはかけがえのない大切なもので、今後の人生の糧、人生の財産になっていくと思うから。

 

受けたいセミナーや講演、参加したい活動、訪れてみたい場所、読んでみたい本、会いたい人、食べに行きたいお店。

 

参加を金銭的な理由で迷っているなら、絶対やるべき。

そこには貨幣としての絶対的なお金としての価値以上の何かがあると思うから。ドン!

 

自分も現時点で参加したいセミナーみたいなのがあって、全6回で36,000円。

それに加えて、毎回東京開催のため6回分往復の交通費が必要。

生活を犠牲にすれば参加できるけど、そんなしんどい極貧生活は嫌だから、迷っている。

だれかお金ください。

 

結論、やりたいことにはどんどんお金使っていきましょう、てこと。

おいしいご飯、待ってます。

 

 

 

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感想も、待ってます!

ご飯を奢ること

 

 先輩から、同期から、後輩から

「ご飯行きましょう」

って言われるのすんげく嬉しくね?

 

承認欲求が溢れるほどに満たされて、バイブスはぶちあがって、うきうきする。

 

先輩とご飯行ったときのお会計は、自分もお金を払おうとするけど

「奢るよ!」

って言われたらありがたくご馳走になる。

同期と行ったときはだいたい割り勘。たまに奢ったり、奢られたり。

また、後輩と行ったときはできるだけ自分が奢るようにしている。

 

先輩が後輩に、とか、上司が部下に、とか、いろんな形で「ご飯を奢る」という状況が生まれるけど、ご飯を奢ること、奢られることに関する自分の最近の考えを書き込もうと思う。

 

人によっては奢ることも奢られることも嫌がるというか、避けるようにしている人もいるみたい。

逆になんでもかんでも奢る人もいる。

自分は結構後輩には奢るタイプだと思うけど、この違いはどこから来てるんだろう?

 

「男は奢るもの」という固定観念を無意識のうちに持っているか、持っていないか。

今まで先輩に奢られてきたから自分もそうしようと思っているのか、その逆か。

見栄を張りたいのか、そうじゃないのか

下心があるのか、ないのか。

 

「人のよって考えは全然違うだろうから別に言及しなくていいか」

と思ったのでここで終了にします( 笑 )

 

 

最近自分が「なぜ奢るか」に関して考えていることは

「一緒に時間を過ごしてもらったことに対する対価、感謝」

だと思っている。

 

すごくキレイ事だけど、これって大切なんじゃないかなァ。

 

価値のある時間に対価を払うのって当たり前で、自分から誘った場合は相手が自分の都合に合わせてくれているわけで、また、同じ時間の共有をしてもらっているわけで、いろいろな考えや近況が聞けて、自分の話もできて、仲も深めることができるわけで。

そこに感謝の気持ちを忘れないようにしないとなーって。

 

人のお金で食べるご飯ほどおいしいものはない、けど、自分が奢って食べるご飯もおいしいよね。

おいしそうな顔して食べてる姿見てなんか満たされるし、誘ってよかったな~ってなる。

 

良い関係も築けるし、気分は良くなるし、自己投資みたいなものかな。

 

でもやっぱたまにいるけど、奢られて当然みたいな人、あれはよくないよね。

奢る気ではいるけど、そういった反応されたらなんか萎えるよね?

そんなんされたらまた行きたいって思えないよね?

「ありがとう」とか「おいしかったです」とか、伝えてほしいよね?

そこらへんがまだまだ未熟なんかもしれないけど、多くの人がそれ相応の見返りを無意識に求めているんじゃないかと思うけどな~。

 

奢った側も、奢られた側も、お互いにいい気分で帰宅できる、そんな状況が理想。

 

財布を出して

「え、先輩いいんすかッ!?あざッす!ごちそうさまッす!!楽しかったっすッ!!!また行きましょう!!!!」

って言われるだけで、奢る側は

「俺今サイコウにかっこよくね?奢って良かったァ!!」

みたいな、つまり

「相手も自分と同じ時間を共有することに価値を感じていたんだ!」

って、そういう思いを共有できるし、させることができるでしょ。

んま、ここら辺は最低限のマナーだとか、道徳の話だとは思うけど。

 

つまり何が言いたかったかというと、

 

 

 

 

 

 

 

 

先輩、めちゃくちゃおいしそうにご飯食べるし、めちゃくちゃ感謝も伝えるので

ご飯奢ってください。

 

 

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感想聞かせてくーださい!

リタイアメントから思ったこと

ESSの多様性について

 

リタイアメントということで、引退していく67期の先輩たちが俺たち後輩に色んな言葉を残してくれた。その中でも多く聞いたのが、「多様性」や「やりたいことはやろう」なんてこと。それを聞いて思ったことなんかを記録していこうと思う。

 

とくにかんちゃんの言葉を借りて書いていこうかなと思う。

 

多様性がたくさんある状態がなんで大切なのか?

 

多様性がたくさんある状態というのはつまり、1人1人の価値観がたくさんある状態。

67期の夏キャンのテーマであったカラー。

それがたくさん存在することのメリットとして

 

・新しいことに気付くことができる

・コミュニティとしての魅力ができる

 

の2点。

 

「新しいことに気付ける」に関しては、つまり多様な価値観が存在しているからこそ、自分の価値観との違いや自分が知らなかった価値観に気付けるということ。みんなが同じ考えであったら、新しいものが生まれにくいし、その中で自分について気付くことができない。

 

他人と自分の価値が違うからこそ「自分てこう考えていたんだ」と相対的に気づくことができる。それまでは自分の中で常識だったり、自分では何とも思っていなかったものが実はすごくいいことであったり、逆にすごく悪いものであったりと、気づける。

 

自己分析でもすごく大切だけど、自分のことがよく分かる環境っていうのはやっぱり人と接した時だと思っていて、対話や共に行動することによって、自分が大切にしているものや自分の強みや弱みが発見できる。その点、いろんな地方から集まって、それぞれがやりたいことを持っている環境というのは、いろんな考えに触れやすい。

 

でも多様性があるからこそ起きる問題なんかもいくつかあるのかな、なんて思う。そもそも、多様性がある状態、自分とは違う存在がたくさんいる、って環境はストレスを感じやすくて、だからこそ全体でまとまりにくかったり、対立が起きたり、人によっては価値観が違いすぎて嫌いだと思ったり、そんなこともあり得るよね。

 

でもESSのメンバーとして3年過ごしていくことで、互いを分かり合えるようになったり、自分と他人の差異について理解が持てたり、する。最初に、この人とは合わないなー、とか思っていても交流を深めていくと実は一緒に過ごしやすかったり、考えが共通してたりと、そんなこともあるんじゃないかと思う。実際自分も、同じコミュニティで最初に関わっていた人と今関わっている人って結構違っていて、なんか面白いなーって。

 

ちょっと話がそれたけれど、

「自分てこういう風に考えてたんだ」てのは、自分と違う人と話したときとか、違いに触れたときに相対的に見つかるもの。そういう意味で多様性ってのはすごく大事なことだと思う。だからこれからもいろんな人の話が聞けたらいいなー、と。

 

「コミュニティとしての魅力ができる」は、多様な人が集まって多様性ができることにより分担が可能になり、ひとりひとりが生きるコミュニティができるという観点から大切。

 

みんなの強みがそれぞれ違っていて、それぞれに得手不得手がある。そんな人がたくさん集まっていると、自分が得意なことに貢献できて、逆に苦手なことはそれが得意な人の任せることができる。得意は活かせて、苦手は任せられる。

 

面白い人や、誰もが気持ちよく話をまとめることができる人、気配りができる人や、場を盛り上げることができる人、などなど、色んな強みが集まっている。また、そのコミュニティの中で「自分の強みは何だろうな」と考えて、貢献することができる。

 

だから、色んな強みがある人が集まって、それを効率的にいかせて、全員が貢献することができる、というように魅力的なコミュニティを作っていくことができる。適材適所って言葉は本当に好きな言葉。

 

 

…俺の強みって何だろうか?

…貢献できているのか?

 

 

どうやって多様性を実現していくのか?

 

まず、自己主張をしていくこと。

 

認知されない価値観、多様性、アイデアは存在しないと同義。「自分がこんな価値観を持っている、こういう風に貢献できる」と主張しないとその強みを活かせないし、コミュニティで輝くことができない。

 

だから、自分はこんな価値観がある、こんなことができる、やりたい、を主体的に発信していくことが大事。言いにくい、うまくできるか分からない、自分から発信していくことが苦手、そんな人も多いと思うけど、そこに関してESSは強くて、うまく形にできない思い、こんなことができるって言いにくい思いををみんなが見てくれてるから形にできる。また、みんなが存在を評価してくれてる。

 

自己主張ができる土台は必ずESSにある。

 

本当に主張することは大切。だけど、人数が多い分「別に言わなくてもいっか」的なことが多くなるし、なんだか恥ずかしいとか、おかしなこと言ったら笑われてしまうかもなとか、そんな風に思って主張しにくい場面なんていくらでもあるよね。

 

意見を求める側からしたら、誰も何も言わないお通夜ミーティングってのは本当にきつい。でも求められている側からしたら、ミーティングで何か意見ある人ー?なんか言われても発言するのってなかなか勇気がいる。ミーティングにおいて大切なことって、意見を言いやすい環境を作ることで、意見を言わないからあの人は何も考えてないと判断することじゃない。

 

集団になると責任が分散して、「別に言わんでもええやろ」ってなることが多くて、でもやっぱり誰もが考えていることはあって、それって実はすごくいい考えかもしれなくて、だから意見は言って欲しかったりする。そのために、サシで意見聞くとか、匿名で意見募るとかすべき、かな。

 

次に、Agree on Disagreeの意識。

 

非賛同があると理解したうえで、違う意見の人もいるという前提で、話すということ。

 

これは相手が間違っている、というよりも相手の意見も正しいけど自分の意見の方がいい、と思ったときに特に活用できそう。意見を出して、どんなポイントで見るか、というところに議論を進めていくことができるし、場の和を乱すことなく議論できるかな、ということ。

 

やりたいことをやろう

 

これについてもいろんな人が言っていたね。

 

夏キャンでもない限り、ある一つのことに全員で向かっていく、という状況はESSにはあまりないかなと思う。だからこそ自分のやりたいことをやりつつ、ESSにもゆるっと関わっていくことができる。また、ESSメンバーは多くの人が自分がやりたい事を応援してくれる。

 

自分のことを応援してくれる、自分の味方っていう存在がいることはすごく大事なことで、やっぱり自分が「これやりたいかも」って思ったことを否定されたり、疑問視されたりすると自信を失うし、すごく不安になるし、萎えるし、結局は現状維持へ収束するかな、と。でもやりたいことを認めた上で関わってくれる存在がESSにはあって、素敵なことだと思う。ディベセクとかそういう環境。

 

自分もやりたい事いくつもあって、ESSに迷惑かけてしまいそう、と思っても(実際めっちゃ迷惑かけたかなと思う)それを肯定してくれる先輩や同期がいて、応援してくれてる。だからこそ全力でやりたいことに注力できる。で、いつも温かく迎えてくれる、とても良い環境。

 

やりたいことあるけど迷っている、なんていう人は誰かに相談してみるといいと思う、絶対みんなが肯定してくれるだろうから。やりたいことやらなきゃなんも面白くないもんね。でんでんぱっしょんでも、「楽しいことがなきゃ、バッカみたいじゃん?」て言ってるしね。

 

あ、あと、ただいるだけじゃ何も得られない、てのは本当にそうだと思ってて、スピにせよディベにせよ他のセクションにせよ、能動的に主体的にガンガンやっていかないと何も得られないと思う。自分は割と頑張ったかな、という方で、KESSAだとか東京の春セミ行ったり、自分のスピーチに向き合ったりして、得たものが多くあると思っている。それらって日常に還元できるし、今のインターンでも活用できていると感じる。

 

絶対にフレッシュマンの時より思考が深くなっていると思うし、人脈も増えたし、本気で取り組むことによって今の自己分析にも役立ってる。てかスピーチやったおかげで自分の将来どうしたいかとか分かったし。やるならセクション活動を本気でやった方がいいと思うけど、コミュニティそれ自体が好きって人もたくさんいると思うから、それでもいいんじゃないかな。

 

1年後、同期みんなの良いところが言えるように頑張っていこう。

 

さいごに

 

すげーESSのポジキャンになってて、そういうこと言っている自分に気持ち悪さを感じる。

でも、そういう環境だもんね。

 

昨日ふじこうさんとそらさんと阪急で六甲まで帰ったと思うんだけど、記憶がないのでまた話してほしいと思います( 笑 )

 

質問箱のURLのっけておくので、感想とか質問とかあったら送ってください。

あと考えてほしいこともあれば、じっくり考えてみたいと思うのでお願いします。

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2018年2月10日の記録

今日のイノベーション

 

今日は杉村氏と、西宮にある燻製がうまい居酒屋へ行ってきた。

西宮北口駅の改札口を出たのは初めてだった。

 

いろんな話をした。

地方創生について、働き方について、自分の悩み(?)について、ESSについて、とにかくまぁ~いろいろ。

自分の考えを話したり彼の考えを聞いたりしているうちに、自分の中で考えが変わったことがあったので記録しておこうと思う。

 

まず、ESSについて。

 

人のとらえ方次第ではあるけど、ESSというコミュニティには良いところも悪いところもある。

最近は、というか2回生になるあたりからESSの伝統についてネガティブな考えばかり先行してしまっていた。

「伝統だから」ということでとりあえずやる、みたいなところにずっと疑問・違和感を持っていた。

それってどうなん?

もっと別の方法あるよね?

ちょっとした不満持ってる人が何人かいるんならどうにかできないんかなー?

みたいな感じ。

 

正直それを思っても結局なんもしてない自分もいたんだけど、その「ESSの伝統」に関するネガティブなイメージが「ESSというコミュニティ」のイメージを悪くしていたことに気付いた。

つまり今日まで

ESSのポジティブイメージ < ESSのネガティブイメージ

そんな感じ。

 

そんなこんなで、その「伝統」についてスギちゃんに話してみた。

約3年間コミュニティに属して思った「ESSの伝統」の良いところを答えてくれた。

「あんなにコミュニティに尽くす団体ないよ」

「ジュニアが後輩にあんだけの時間をかけて感動を与える伝統、そんなのなかなかない」

みたいな、あんま覚えてない( 笑 )けどそんな感じで、すごい説得力があった。

 

確かにそれはそうで、実際、自分がフレッシュマンで夏キャン初参加したときの感動は忘れられない。

入部して全プレが始まって約3ヶ月しか属してないのに、夏キャンで大泣きして、普通そんなことある?

ないよね。

 

実際一時期、自分のやりたい事があったりとか、自分の中では大きな出来事があったりしてESSへのモチベが激減して、休部か退部を考えていた時期があった。

でも、それに踏み切れなかったのは夏キャンの感動があったからで、66期から受けた恩や感動を自分も後輩に還元したいって思ったからで。

本当に迷って迷って68期三役にお世話になったけど、最終的に

「やっぱまだやり残したことあるな」

「最後までやり抜きたい」

「後輩にこのすごくいい伝統を継いでいかなきゃな」

って思い返した。

 

ESSって「本当に英語の部活なんか?( 笑 )」って思うことも多々あるけど、なんか、こう、あったかいというか、自分の居場所があるっていうか、そんな感じ、部員のみんなは分かるでしょ?うまくまとまってないけど、そういうこと。

ESSは本当に良い団体で、自分にとっては「帰ってくる場所」みたいな、「家族」はちょっとサブいから言わないけど、そういった場所だと思ってる。

だからこそフルコミットしていきたい。

これからは疑問に思ったこととか、なんか違和感を感じるところには声を上げて、良いところはもっと良くできるように注力していきたいなって思った。

 

違和感を違和感のままで過ごし続けていたら、それがいつかは日常に、常識になっていく。

それは良くないよね。

という話。

 

 

「違和感」関連で行くと、次に、いわゆる自己分析について。

 

最近進路について迷走している気がしてて、ざっくり将来自分が何をしたいんか分かってはいるけど、いまいち確信を持てない。

自分のValueをどう活かしていくか、を考えようとするけど、思考が停止する。

 

だからとりあえず興味あることに積極的に関わっていこう、そこから考えよう、と思っていた。

それで最近は地方創生、地域活性化についての講演会とか、団体とかを探していた。

 

薄々気づいてはいたんだけど、一回やったきりで終わらせて、無意識にやってなかった。

やっぱり自己分析が足りてない。

そもそも自己分析って1度で終わっていいわけないよね、自分を形成する根本は変わらないけど、思考とか価値観て少しずつ変化するし。

 

思考が浅い。

特に最近こう感じる。

もっと本気で自分について考えてみよう。

 

自分の行動の動機は何なのか、何をやっているときに最も充実感を感じるのか、自分が大切にしているものは何なのか、とかとか、考えればきりがない、でもやる。

 

特に、「自分の人生をどう生きたいのか?」について。

「あなたは何のために生きているのか?」「あなたの生きる意味とは何ですか?」

っていう質問があるけど、そんな哲学的な答えに自信をもって答えれるわけないと思っているから、「どんな生き方をしていきたいか」を考える。

そっちの方が合理的、かつ、自分で解を出したときに、それにむかって自信を持って行動できる。

 

「どう生きていきたいか」を見つけるためにやること。

スギちゃんも言っていた、今まで知ってたけどやってなかった、

「違和感を大切にする」

ということ。

 

つまり、違和感を分析するということ。

なんでもいい。

コミュニティに違和感を持ったら、自分の理想の環境が分かる。

他人の意見にイラっとしたら(違和感を持ったら)、自分が大切にしている価値観が分かる。

違和感なんて日常に存在している。

違和感を感じたらメモって思考、このサイクルで考えます。おう!

スギちゃん、大事なこと思い出させてくれてありがとう。押忍。

 

加えて、客観的に見た自分を知ること。

自分じゃ自分のイメージに主観が入ってしまってなかなか考えられない。

だから他人の目に映る自分のイメージを他人に直接、聞いてみること。

今日スギちゃんに、みっちんこ本人に対して持っているイメージを聞いたら新たな発見があった。

確かにそうかも、とゾクゾクしたよね、実際。

これからいろんな人と「サシ」でご飯誘って、みっちんこのイメージを聞こうと思います。

聞かれたら正直に答えてほしい、何言われても怒らないから( 笑 )

 

 

以上、今日特に強く感じたのは「ESSの伝統」と「自己分析」についての2点。

 

これ以外にも得ることがたくさんあって、マジで有意義だった!!!!卍

また彼を誘ってどっか行こうと思います。

 

 

今日は充実してたなァ。

明日はリタイアメント。

先輩の良い話に期待。

いろんな価値観を吸収したいと思う。

 

以上!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログ始めました。

 

はじめに。

 

初めまして、神戸で大学生をしています、みっちんこです。

栃木県出身で、神戸に来てまもなく2年が経過しようとしています、まぁまぁファッキンガム宮殿ですね。

私は今三宮のスタバでこれを書いています。ドア付近で書いてるので少し寒いんですけど、窓の外には素敵なお姉さんが居酒屋のキャッチをしているので頑張れそうです。あ、お兄さんに変わった、モチベ激減した。

 

さて、なぜブログを書こうかと思ったのかというと、「ブログ書いたら?」というメッセージをもらったことがきっかけです。

というのは、もともとはTwitterを通して自分なりの思考なんかを発信していましたが、

流行りの質問箱に

「君にそれを思わせたきっかけは何だったのか、バックグラウンドまで知りたいなぁと思うことが多々あるので、ブログ書いちゃえ。」

と嬉しい言葉をいただいたんですね。

 

確かに、それはそう。

自分の思考を言語化して、要約して、誰かに影響を与えたいな、と思っていて、また、文章作成能力の向上を目的に、140字の文字制限があるTwitterという媒体を利用していたんですけど、

限られた文字数で伝えられる情報量はどうしても少なくなってしまう。

それってほんとに伝わってんのかな?と。

(自分のツイートに影響を受けている人がいるかは分かりませんが…。)

 

だったら、制限を気にすることなく、思考のきっかけとなった出来事、それを受けてどう考えたのか、を伝えられるブログでいっか。

と思って始めることにしました。

 

外のお兄さんはまだキャッチしてますね、ご苦労様です。

 

これから。

 

このブログに何を書いていこうかな~と。

おそらく

・自分の思考

・読書の感想

が主かなと思います。

 

あ、そうそう、実は最近 「 地方創生 」 に関心があって、それ関連の投稿もできたらしていこうと思います。

 

ゆるゆるっと更新していこうと思っているので、暇なときはぜひ読んでみてください。

 

感想なんかも聞かせてもらえたら、嬉しいです。

 

これからよろシコシコシコお願いします。